独立系労働運動から連合・自治労幹部打倒へ【さとうしゅういち元委員長のあゆみ】

県庁職員(自治労広島県職員労働組合員)時代の後半にわたしが取り組んだ活動の一つに独立系労働運動がありました。
わたくし、さとうしゅういちは非正規労働者と正規労働者の格差、特に公務分野における格差に憤りを感じていました。また、介護や医療の監督をさせていただいたわたしは、県庁のさほど重くない仕事の職員と現場介護職員の給料の差を仕事の中で拝見し、憤りを感じていました。
これを是正するには、連合・自治労ではらちがあかない。そこで、わたしが、広島で、初めて立ち上げたのが、独立系労働運動、この「生存ユニオン広島」です。

若者中心。当初の活動は、大きな労働組合などの活動では、モノ言えぬ非正規労働者、中小企業者、失業者、主婦などなどに自分たちの意見を言っていただく場をつくることでした。
全国でも、札幌、仙台、東京、名古屋、京都、熊本などで行われた独立系労働運動のメーデー。広島でもおくればせながら、2008年を皮きりにスタートしました。毎年5月2日でした。さとうしゅういちは、自治労広島県職員労働組合支部役員を兼務しつつ、独立系労働組合委員長を務めました。

労働争議の支援にも参加し、機動隊と対峙したこともあります。
また、非正規労働者からの労働相談も何件かお受けしました。

しかし、自治労本体から疎まれたのは事実です。なぜ、本体の活動をもっとしないのか?と。
わたしは「自分がしたいことをしているだけ。」と受け流していました。しかし、2011年1月末、わたしは自治労からも県庁からも事実上追放されます。
「容疑」は「組合の政治活動方針に違反したこと。」でした。

組事務所、いや組合事務所で役員に取り囲まれ、組合方針に従うか、除名かを迫られました。
だが、わたしは「別件逮捕」だったと感じています。

それよりまえ、ある県庁の別の職場の非正規職員が、わたしに職場メールで相談したところ、組合役員らから怒られる事件が発生しました。
所詮、自分たちが収奪している非正規労働者を支援するわたしは「自治労ムラ」の裏切り者なのでしょう。

情けないことはあった。あの追放劇のさい、いわゆる広島の左翼の方々は力にならなかった。和田たかし議員も「ヤクザ」と表現した自治労相手でびびってしまったのかもしれない。皮肉にも、わたしにアドバイスをくださったのは、右派と自治労からボロカスに誹謗されていた女性でした。

「連合 自治労、とりわけ広島県職員労働組合福山市職員労働組合の幹部こそ、広島、福山を覆い尽くす暗雲。
必ず打倒しなければならない。いまのままの広島の自治労には、非正規労働者も介護職員も救えない」
これが、わたしの確信点です。

「電力会社前の座り込み」も自治労愛知県職員労働組合などは参加するのに、広島県職員労働組合は「組織内県議が中国電力に推薦してもらってるから過激なことはいえない」などと逃げ回る。
被爆地の自治労が一番脱原発から逃げ回るとは?!
自治労がやらないなら、そして、その自治労がわたしを追放したなら、仕方がない。

わたしが、国会議員として不公正を是正する法律を通す。

被爆地広島(黒い雨の一家がのがれた安佐南区在住、井伏鱒二と同じ福山市生まれとして)の国会議員としてかならず、原発をなくすための法律をつくります。

一方で、良心ある福山市職員、広島県職員の方が、いつか、必ず腐りきった自治労幹部を内部から打倒し、役所を正常化し、格差を是正していただけると確信しています。