派遣切りが教えてくれたもの 非正規キャラバン in ふくやま

派遣切りが教えてくれたもの 非正規キャラバン in ふくやま 


 6月20日福山市男女共同参画センター(イコールふくやま)で「派遣切りが教えてくれたもの 非正規キャラバン in ふくやま」(主催主催 活動家一丁あがり講座「非正規キャラバン」グループ、 共催・後援 クオータ制の実現をめざす会ふくやま=代表はさとうしゅういち当労組委員長)が行われました。

 基本的にわたしは主催者ではありますが、会場を確保などをお手伝いさせていただいただけで、ほとんどは、活動家一丁あがり講座「非正規キャラバン」グループの非正規労働者・求職者の皆さんにお任せしています。

「活動家一丁あがり」は、次世代の活動家(労働運動・反貧困運動など)を目指して作られた講座です。反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さん、首都圏青年ユニオンの河添誠さんなど、さまざまな方から活動について学んできました。非正規キャラバンとは講座の仲間で結成されたグループです。

活動家一丁あがり!受講生のブログ 〜アクティブな市民への道のり〜
http://ameblo.jp/icchoo/

■20数名が集まり、活発な議論

 会場のイコールふくやまには、広島から駆けつけた新聞記者を含め、若者からベテランの市議まで、幅広い年代の20人余りが集まり、活発な議論を交わしました。

 非正規労働問題をメインとするいわゆる「独立系」の集会は、福山では、4月29日にわたしたち「生存ユニオン広島」が実施した「生存のためのメーデー」に続き、おそらく、歴史上では二回目です(いわゆる共産党系の県労連さんは、派遣村やシャープの派遣切り問題などでがんばっておられます。)が、4月29日のメーデーは参加者が今回より更に少なかった。そういう意味では、「大成功」の部類に入ります。

 なにしろ、当事者は、余裕がない方が多いし、逆にちょっと余裕がある方だと「自分はあまり関係ない」と思ってしまいがちな問題ですから、参加者数自体を増やすというのはなかなかに大変な作業です。

■地方の不況でやむなく首都圏で違法派遣に

 今回は、三菱ふそうで派遣切りに遭い、会社を相手取って直接雇用を求める訴訟を闘っている鈴木重光さんから、お話を主催者の小川ともこさんとの対談形式により伺い、その後、参加者で自由に議論する形式を取りました。現在、鈴木さんは、再就職をめざして、介護福祉の専門学校に通っておられるそうです。

 鈴木さんは1972年生まれ。仙台で金融系の企業で、中小企業向けの貸付の仕事をしていたそうです。しかし、不況の中、仙台支店が閉鎖。鈴木さんは職を失います。

 仙台では求人はあまりなかった。昔のようには頼る親戚もない中で自分ひとりで食べていけるだけの給料を得られるような仕事があまりなかった。そういう中で、「月給28万円」という求人誌の中の広告を見て、その日のうちに面接を受けた、ということです。

 面接官に「仕事はきついけど、誰でもできるようになる」などといわれ、なんとなく「これでやるしかないのだ」と思い込んでしまったそうです。当時は既に、家賃も滞納になりかかっていたので、そうするしかなかった。それがたとえ、違法派遣だったとしてもです。実際、建前は、「請負会社の正社員」として働いているというものでした。しかし、切羽詰っていた当時、それでもそれを飲むしかなかったのです。

■正社員と同じ仕事なのに・・・

 鈴木さんの仕事は、トラックの内装組み立て。同じ場所で同じ仕事をずっと繰り返します。市ごとの振り分け自体は簡単なのですが、限られた時間でこなすのが難しく、2ヶ月から2ヵ月半くらい慣れるまで時間が掛かったそうです。

 鈴木さんのような派遣も、正社員も同じ仕事をしているのですが、正社員の人は、若手正社員に対するのと、派遣に対するのでは、教え方に差があったそうです。(当然、今後もずっといると思われる若手正社員には丁寧に教える。)。

 そして、ボーナスも昇給もない。誰にも評価されない、と感じたそうです。そこで、正社員の人と線を引くことで、辛うじて自分を保っていた。かくて、鈴木さんは4年間、仲間をつくれなかったそうです。

住むところをどうしよう、という不安

鈴木さんにとって忘れもしない2008年11月18日。

それより前も段々、休みの日が増え、正社員ではない鈴木さんの給料は減るばかりでした。

そうした中、11月18日昼休みに突然、派遣担当の人から「今、時間をください」と電話。工場内のローソンで会うと、担当者は「12月26日で仕事がなくなります」と通告。鈴木さんが何か言い返そうとすると、担当者は「ぼくもこの仕事がなくなるんです。」と言われてしまい、それきり、何も声を掛けられなくなってしまった。
ということです。

仕事に戻った鈴木さんを襲ったのは、「住むところをどうしよう」と言う不安でした。

組合結成のニュースを見て行動に

そうした中、各地で派遣切りに伴い、工場労働者が労組を結成した、と言うニュースをTVでみかけるようになった鈴木さん。「おれもビラまきをしなきゃ」と思うようになったそうです。

そこで、首都圏青年ユニオンに電話。そのとき、委員長の河添誠さんは、大喜びで電話を受け、相談に乗ってくれました。そして、河添さんから、ほかの仲間も連れてきて、といわれました。

しかし、鈴木さんは、4年間仲間を作ってこれなかった。なかなか大変です。ほかの派遣切りに遭った人は実家住まいの人も多く、「俺は大丈夫」と言う雰囲気でした。ただ一人だけ、2歳年上の人が「鈴木さんが一人ではかわいそうだから」という理由でつきあってくれたそうです。

それでも、そのときはまだ、「かわいそうと思われている」「俺は、ほかの派遣切りの人ほど(ひどい状態)ではない」という思い込みは遭ったそうです。

その後、紆余曲折、労使交渉を経て、解雇後もしばらくは寮に住めるようになりました。

その後、年末年始の派遣村を鈴木さんは手伝うようになりました。自分も困窮した鈴木さんが何故ボランティアに携わったか?

それは「かわいそうではない自分」を見せたかったからだそうです。助けてくれた河添さんと「対等になりたい」から。

派遣村に「ホームレスの人が来ている」などと叩かれていましたが、実際には、路上生活の人も、鈴木さんと同じような感じで仕事を転々としていた人が多い。そして、戸籍すらない、部屋を借りる手段も知らないという状態の人もいてびっくりした、ということです。

組合活動で成長

その後、鈴木さんは、組合活動や、「活動家一丁あがり」の活動を通じて、自分が変わっていくのを実感した、ということです。

一方で、組合活動を通じて、(会社側を代表して対応してくれた)正社員の方に対しては、自分を殺しているのだなあと実感したそうです。そういう正社員の人を見ると、「誰か特定の人が悪い」と怒ることはちょっと難しいなあ、と感じたそうです。

「会社をすぐ辞めてしまうのではなく、会社にいながら環境を変える。一緒に変える」という道もある、と鈴木さんは強調します。

現在、裁判闘争を闘っている鈴木さん。支援する傍聴者に対して「ありがたいなあ」と感じているということ。いい影響を受けた、と振り返ります。

■活発な質疑応答

その後、質疑応答や議論がありました。

 政権交代後の貧困問題の状況についてどうかとの質問に対して、鈴木さんは「多くの人が『自分だけは違う』というプライドから生活保護を受けたがらない、下を見て安心してしまっている状況はあまり変わっていない」と指摘しました。

また、「各地を結ぶネットワークが必要」(複数)、「福山で派遣村に従事しているが、やはり個人の責任にしてしまう気風を感じる。生きる権利が誰にもでもある、というところから出発する必要がある」(共産党市議)、「社会的なルールについて教育の段階からきちんと教えていく必要がある。」(契約社員男性)など活発な意見がありました。

わたしからは「小泉さんは地方経済を破壊する一方で、派遣法を緩和した。地方で食えなくなった人をこき使えるようにして、大手企業を儲けさせる狙いもあったと思う。そういう政治を改めるため、選挙で投票するだけでなく、政治家にモノをいっていく必要がある。わたしも民主党を支持してきたが、政権交代したからと言ってすぐよくなるわけではない。生存ユニオン広島では政策提言を民主党に対して行っている」などと紹介しました。

鈴木さんも「反貧困ネットワークと言う形でいろいろ分かれていた運動が、つながるようになった。」「ほかの人の闘いに刺激されることも多い。ネットワークは大事。」などと答えていました。

福山では、これくらいの規模でも「独立系」では初めてです。これはわたしにとってもまだまだスタート地点です。多くの今まで声を上げられなかった人、諦めていた人の声が政治や社会に届くよう、がんばっていこうと思います。