樺美智子さん没後五十年
五十年前の今日、国会議事堂前で、日米安保条約に反対するデモ隊と警官隊が衝突し、東大生の樺美智子さんが亡くなりました。
以後五十年間、ずっと自民党(的)政治の柱として続いてきました。
安保といえば、軍事ばかりが注目されますが、第二条では経済協力もうたわれています。
対等な協力ならいいが、そうはいかない。
特に1985年のいわゆるプラザ合意、そして1990年の日米構造協議以後は、アメリカに従属した経済政策が強まった。
いわゆる年次改革要望書による対日圧力、それから日本もアメリカ国債大量購入で応えた。
日本も、トヨタをはじめ、大手企業がアメリカへの輸出に依存している手前、アメリカのいうことを聞いてきた経緯はあります。
ただ、ご承知のとおり、今や対中国輸出は、対アメリカを抜いた。
もちろん、アメリカとの友好関係は大事なのは当たり前(共産党だってそれは否定しない)ですが、一方で世界がアメリカ中心で回る時代ではなくなった。
G20なんていうのは、結局アメリカも相対的な存在感が低下したということです。
これからは、いかに中国やインドなどにも、経済大国としての責務を果たしていただくか。その中でアジア地域の安定を図っていく。このあたりも大事な課題になっている。
正直に申し上げて、五十年前の熱い闘争は本土では起きるような気配はない。
しかし、冷戦も終わり、経済状態も変わった。
そうした中、日本がどうあるべきか、の議論はもっとあっていい。
冷戦が終わってから20年間積み残した課題にとりくまないといけない。
その後の十年は小泉純一郎さんらが、「アメリカにくっついて一部大手が儲ける体制」護持に汲々とし、結果として日本も自民党もぶっ壊した十年です。
日本は今後五十年、どうあるべきか。政治家はもっと議論をしていくべきである。