さとう元委員長、2013参院選への決意(1) 福山市・安佐南区・府中町とさとうしゅういちの信条

わたくし、さとうしゅういちは、これからの日本は、地域分散型、多様性ある国土、そしてやわらかい社会にモデルチェンジしなければ、という思いで、2000年に広島県庁に就職しました。

 福山に生まれてすぐ移った東京から広島へ。県庁退職後の今は安佐南区に本籍、住所ともおいております。

 なぜ、事実上、東京人のわたしが、2000年当時、地方でも広島を選んだか。そして、今のような活動、また、政治思想を持つに至ったか?そして、現在は2013年参院選広島選挙区において、緑の党議席を目指すのか。ちょっと詳しく「補足説明」します。

 わたくし、さとうしゅういちは、小学校時代から、ずっと「東京のカープファン」でした。

 東京時代、小学校の担任の男性のS先生が、安芸郡府中町出身の被爆者で、カープファンでした。S先生は、小学校時代に被爆。ちょうど自分が被爆時と同じ年代のわたしたちに、原爆の話、そしてカープの話をよくしてくれました。さとうしゅういちは、その影響を強く受けました。

 さとうしゅういちが生まれた福山市井伏鱒二の故郷です。現在は安佐南区に本籍地、住所とも置いています。安佐南区は、井伏の小説「黒い雨」の舞台です。さとうしゅういちは、高校時代から「黒い雨」を愛読書としています。また、2011年4月に乳がんで亡くなられたすーちゃんこと、田中好子さんは同名の映画を主演しました。

 そんなことから、広島から、核のない社会を造りたいという強い思いを大学くらいの時には強く持ちました。

・多様性と地方をもっと重んじ、やわらかく長持ちする日本にモデルチェンジする
・核(核兵器原発も)のない社会をつくる。

 このふたつは、わたしに取り、いわば、二本の柱です。

 前者については、以下の記事で、ご説明した通りです。

長富から北別府へ 日本・広島・福山の「モデルチェンジ」を!
http://www.janjanblog.com/archives/74055

 さとうしゅういちは、県庁職員時代、男女共同参画活動や、非正規労働運動、反貧困運動に関わりました。その根底には、多様性を重んじるやわらかい社会にしたい、そのためにも、生き方によって教育や医療などセーフティネットに差が出てはいけない、という思いからでした。

 また、さとうしゅういちは、井伏鱒二の生まれ故郷福山から彼の小説黒い雨の舞台安佐南区に移った人間として、原発も含む核をなくしたいという思いは一層強めています。だからこそ、時々、黒い雨の主人公一家が命からがら避難してきた可部線古市橋駅前で脱原発を訴える演説をしております。

 そもそも、原発には「核」としての側面と、戦後の日本の「硬い」社会の象徴としての側面があります。

 また、2010年以降、ピンクリボン活動をささやかにですが応援するようになったのは、直接の契機は民主党(=自治労広島県職員連合労組支部役員)時代に、中川けいさん(奇しくも安芸郡府中町出身)にであったことです。

 しかし、田中好子さんのこと、また現在も活躍されている乳がん患者の平和運動の師匠のことが頭にあったのも事実です。何より、女性が利用しやすい医療に変えていかねばならない、そのためにももっと当事者の視点を、と男女共同参画の活動を通じて、感じたからです。

 このような中で、介護を担当した行政職員として、介護殺人のニュースに心を痛めて参りました。また「やりがいはあるけど、給料が安くて続けられない」という介護職員のみなさんの声に、これをなんとしても改善しなければ、と日々痛感してまいりました。反貧困のボランティア活動では、若いご両親と幼いお子さんの野宿を目撃してしまい、教育格差、貧困の連鎖をなんとかしなければならないと考えて参りました。

 福山市安佐南区府中町とわたくしさとうしゅういちのご縁。そしてわたくし・さとうしゅういちの考え方や活動は以上のような背景があります。

 県庁時代の終盤の2011年、今の体制下での県庁職員としての仕事、そして日本の現在の労働運動、そして市民活動「だけ」では、日本のモデルチェンジは不可能だと、判断。政治に殴り込みをかける決意をしました。

 わたくし、さとうしゅういちは、福山市長選挙において、福山をやわらかい長持ちする福山にモデルチェンジしようという市民の皆様を全力でお手伝いします。

 そして、2013参院選広島県選挙区において、さとうしゅういちは、核ゼロ(原発ゼロ)でやわらかく長持ちする日本へ、モデルチェンジする先頭に立ってまいります。

 どうぞ、今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。