「はだしのゲン」中沢啓治さん、9か月ぶりに広島で熱弁

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はだしのゲン中沢啓治さん、9か月ぶりに広島で熱弁

2012年 5月 28日 21:59《広島》 【取材ニュース】 <原発> <市民活動> <平和> <文芸作品> <芸術・芸能> <講演・講座>
さとうしゅういち


中沢さんが熱弁をふるった横川シネマ。社会派の映画の上映などの活動で地元では名高い。
5月27日、広島市西区横川シネマで『はだしのゲンが見たヒロシマ』の上映と、はだしのゲンの作者の中沢啓治さんによるトークショーがありました。狭い劇場に300人が詰めかけ、開演30分前にはすでに長蛇の列が出来て整理券が発行されるありさまでした。

はだしのゲンが見たヒロシマ』は、この映画を企画した渡部朋子さんが、中沢啓治さんにインタビューし、はだしのゲンを執筆するに至る過程を被爆前から被爆後、そして漫画家デビュー後に至るまで、話を聞き、時にはともに現場に足を運ぶ内容です。

はだしのゲンそのものより、時には生々しい体験談がでて来ます。はじめての原爆に関する漫画は「エロ本」の出版社の雑誌で連載した「黒い雨に打たれて」だったことももちろん、うかがいました。

映画上映後は、中沢啓治さんが車いすで登場。劇場に詰めかけた若者たちの質問に答えました。

中沢さんは
『いまの若者たちはしっかりしている。希望を持っている。』と若者たちを持ち上げました。

原発問題については『地震国日本で、こんなにたくさん原発を作るのは凶器の沙汰だ』などと、答えました。

印象に残ったのは繰り返し「言論の自由が大事」と訴えられたことです。中沢さんのお父さん(被爆死)は、戦時中に、反戦的な劇を演ずるなどして、治安維持法違反で逮捕され拷問を受けています。それでもお父さんの信念は変わらなかったのですが、モノを言いづらかった戦時中の雰囲気をご存じだからこそのご発言には重みを感じました。

特に、橋下市長による国歌斉唱義務付については、反戦論者だったお父さんに育てられた中沢さんらしく、『押し付けの流れは危ない』と何度もおっしゃいました。そして、『日本国憲法は押し付けというけど、よくできている。』などとボルテージを上げておられました。

また、会場の若者から『自分は、人骨がたくさん埋まっている平和公園をあるくとき、平然としていられない。どうすればいいのか?』という質問もありました。わたしも考えさせられました。中沢さんも『いまの日本があるのは死者の上になりたっている。礼儀尽くさないといけない。』などと回答しました。

 中沢さんは「自分は一介の漫画家。その自分にできることをやっていく。はだしのゲンを是非読んでほしい。そして、みなさんも頑張ってほしい」とたびたび、若者を激励しました。

 中沢さんは、昨年8月6日にも広島に来られ、カープ戦の始球式をつとめたり、市民を前に熱弁をふるうなどされていました。その直後に入院されましたが、今日はまた熱弁を聴くことができました。

はだしのゲン中沢啓治さん 入院直前の原爆の日に広島で熱弁
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さとうしゅういち記者のプロフィール
さとうしゅういち(佐藤周一)。1975年11月12日広島県福山市生まれ、東京都育ち。現在の本籍地は広島市安佐南区祇園
1999年3月、東京大学経済学部卒業。2000年4月、広島県入庁。県庁時代は、労働、医療、介護、男女共同参画などの行政に携わる。一方で、反貧困、野宿生活者支援、女性、若者、非正規労働者支援、男女共同参画、瀬戸内海の環境問題などに関する活動に従事。
2011年1月31日広島県を退職。同4月10日執行の広島県議会議員選挙(広島市安佐南区選挙区)立候補、4278票を獲得するも及ばず。同6月20日〜医療・介護関係の会社員。8月1日から広島市男女共同参画審議会委員。
所属政党 民主党(2011年1月まで)→無所属→みどりの未来(2011年8月から)
2010年度・労働組合・生存のためのメーデー広島実行委員会(略称:生存ユニオン広島)委員長。http://d.hatena.ne.jp/lifeunion/
1996年〜広島瀬戸内新聞社主 http://hiroseto.exblog.jp/
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