需要不足による不況を加速する小泉的経済学

今日12月13日の経済コラムマガジンは、引き続き、供給サイドを重視するネオクラシカル経済学ないし、小泉純一郎元総理的な経済学への批判です。わたしもほぼ同感です。

われわれが、菅直人現総理に苦言を呈する場合、方向を間違えてはいけない。

総理の政策ではまだまだ需要不足を満たすのに不十分だ、という批判でなければならない。

供給力をもっと強めろ、という趣旨での批判は的外れである。例えば、一生懸命供給力を増やしても供給過剰になるだけである。

その矛盾を解決するために輸出攻勢をかけても、日本は経常黒字ですから、円高が加速します。結局それで、輸入デフレ圧力が強まるだけです。

また、日本は、高齢化するから、高齢者が貯蓄を取り崩して、結果としてマクロでは、経常収支は赤字になるという予測が昔はあった。しかし、今の中間層以上の高齢者は、年金を受け取ってもあまり使いません。溜め込む一方です。

介護費用や、孫の教育費などのリスクに備えて過剰な貯蓄をする面もある。この点では、もっと、公的な負担を増やし、リスクを減らさないと、高齢者もお金を使いません。

また、お金を使いきれないような大金持ちには、もっと課税を強化すればいいわけです。

大きな政府、積極財政で行くしかない。それが不十分だから総理は批判されるべきであって、断じて、小さな政府をしないからいけないのではないのです。




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経済の自律成長
本誌は08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」において新古典派ネオクラシカル)の経済成長の定式を示した。先週号の新古典派の経済成長論への批判もここで行ったものを含んでいる。定式(モデル)は
g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

である。



これに従って経済成長率を大きくするには、s(貯蓄率)を大きくし、v(資本係数)を小さくし、n(労働人口増加率)を大きくし、t(技術進歩)を促進することになる。具体的にv(資本係数)を小さくするには企業や社会の合理化が必要になる。つまり企業のリストラと国や地方などの公的部門の合理化であり、より具体的には規制緩和による競争促進と小さな政府の実現ということになる。

また少子高齢化の日本においては、労働人口を確保するため大量の移民を受け入れろという声が出てくる。また日本のs(貯蓄率)は高齢化に伴い小さくなるのだから、将来、日本が資金不足に陥る可能性があり、したがって海外からの資金流入を促すことが必要と言う人々がいる。彼等はそのために外国の投資家や金融機関が好むように日本を変える必要があると主張する。小学校からの英語教育もこの一つであろう。


日本の経済成長にまつわるこのような意見は、ずっと日経新聞や系列のテレビ局を始めとした各種のメディアや、松下系の出版社PHP社がたれ流してきたものである。そして筆者は、この根拠となっているものが、上記の新古典派ネオクラシカル)の経済成長の定式(モデル)と思っている。

したがってもし供給サイドだけに着目したこの定式が、極めて特殊なケースでしか有効でないならば(この辺りは先週号で説明)、これらのメディアや出版者はとんでもない嘘をつき続けてきたことになる。たださすがこのいい加減なメディアや人々も、経済が大きく落込む時には(最近の例ではリーマンショックが挙げられる)、政府の需要創出政策が必要と言う。


つまり経済成長の定式を信奉する人々であっても、急激な需要不足に直面した時のケインズ政策までは否定しないのである。ところがケインズ政策によって一旦経済が上向くと、必ず彼等は「景気はもう良い。次は財政再建だ」と出口戦略と称してケインズ政策の中止を主張する。筆者は、彼等は経済のメカニズムに何か「経済の自律成長」といったものが組込まれていると勘違いしていると見る。

筆者はこの「経済の自律成長」というものが曲者(くせもの)と思っている。この考えの背景には、政府の関与がなく放っておいても経済は成長するものという誤解がある。不況期において政府による需要創出政策を行えば、その後は自然に経済は自律成長路線に復帰すると思っているのである。しかし少なくとも今日の日本では「経済の自律成長」は有り得ないと筆者は考える。

むしろケインズ政策を止めることによって、マイナスの乗数効果が発生するのである。実際、バブル経済崩壊後の日本経済の経過を見ていると、中途半端な需要政策といきなりの緊縮財政が交互に繰返されてきた。たしかに過去にいて一見自律成長路線に乗ったように見える時があった。しかしそれは輸出が急増していたケースがほとんどであった。そしてそれによって、後日、円高というしっぺ返しを必ず受けているのである。日本は、有り得ない「経済の自律成長」というものに対する信奉によって、半永久的なデフレ経済に陥っている。


自生的(独立的)な需要
筆者は、日本などの国の経済成長を決めるのは需要と考える。ただ需要があればどのような国も経済が成長すると言っているのではない。低開発国や発展途上国では、まず国民への教育や社会の安定というものが必要になる。さらにこのような国では資本(資金)も必要である。つまりこのような発展段階の国では、需要だけでなく供給サイドの整備が不可欠と考える。

問題は、日本などのような既に一定の経済成長を達成した国のさらなる経済成長である。筆者はこのような国の経済成長を決める要素はほぼ100%需要と考える。つまり需要さえ有れば、日本のような国でも経済成長が可能なのである。そしてこのことは筆者が一貫して主張してきたところである。


筆者が注目するのは「自生的(独立的)な需要」である。具体的には民間投資、純輸出、そして政府支出である。最大の需要項目は消費であるが、消費は所得の従属関数であり、消費水準は所得(生産)によって自動的に決定されると考えられる。そして乗数効果が働き、所得(生産)は「自生的(独立的)な需要」によって決まる。つまり「自生的(独立的)な需要」が決まれば消費も決まるといった関係にある。

近年、エコポイント政策によって消費を直接刺激するという政策が行われている。しかしこのような政策は消費の先食いであり、ある程度のスパンで見れば効果は小さくなる。またエコポイントの付く商品の需要が増えることによって、他のものへの消費は減っていると考えられる(特に車をローンで買った場合は、ローン返済期間中、消費は長い間マイナスの影響を受ける)。つまりある程度のスパンで見れば、差し引きの消費増は、エコポイントのための政府支出の乗数効果程度と思われる。したがってエコポイントであろうが、公共投資であろうが政府支出ならば全体で見れば所得増加効果に大きな違いはないと筆者は考える。


ところで最近、「こども手当」の経済効果について政府の発表があった(「こども手当」そのものについての筆者の考えは割愛する)。手当の61%が支出されたという話であり(ローン返済に充てられた部分があるが、これは手当を見越したローンによる買い物によると見なして)、ほぼ予想された範囲の数値である。ただし全体の経済への影響としては、手当が何に使われたかは関係がない。

こども手当という追加所得の約6割(ローンの返済分を含め)が消費されたという事がポイントである。おそらくこども手当という追加的所得の61%という数字は平均消費性向に近いと見られ、これは限界消費性向と平均消費性向がほぼ一致することを意味する。つまり消費性向がかなり安定的ということを示している。この消費性向の安定性ということが、次に話すことにおいて重要である。


ここまでの話を総合すれば、日本のような国については「自生的(独立的)な需要」が決まれば、所得(生産)が決まるという話になる。つまり経済成長を促すには「自生的(独立的)な需要」が増やせば良いということである。そしてこの関係を示した表を掲載したのが02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」の後半であり、これは以下の通りである。
GDPと自生的有効需要の伸び率比較
年度GDP総額民間投資+純輸出政府支出(うち公共投資
70→002.562.492.572.38(2.34)
80→001.661.661.831.51(1.41)
80→951.601.601.671.53(1.63)
95→001.041.041.100.96(0.87)

この表は、丹羽春喜大阪学院大学教授(現在名誉教授)が、ジャパンポスト(現在休刊)と言う雑誌の02年6月1日号に掲載したものである。民間投資と純輸出に政府支出と言った自生的(独立的)な需要の総額の伸び率と、GDPの伸び率の関係を示したものである。基礎データの出所は、経済企画庁の「国民経済計算年報」と内閣府のホームページである。

この表で注目されるのは、GDPの伸び率と自生的(独立的)な需要の総額の伸び率が、極めて強い相関関係にあることである。つまりこの表は乗数効果によって「所得(生産)」は「自生的(独立的)な需要」によって決まる」という上記の経済理論を実際のデータで裏付けていると考える。またこの表は消費性向が安定していることをうかがわせ、さらにこのことによって乗数値も安定していることを物語っている。興味のある方には、最新データではどのようになっているか確認したり、また他の国ではどうなっているか調べられることをお勧めしたい。