いまこそ、相対的弱点・労働運動の「復興」 〜日本の社会運動は「市民発・野党共闘」の「次の一手」を〜

いまこそ、相対的弱点・労働運動の「復興」
〜日本の社会運動は「市民発・野党共闘」の「次の一手」を〜
広島瀬戸内新聞社主・左党代表幹事 さとうしゅういち(生存ユニオン広島執行委員長、元「連合」自治労広島県職員連合労組支部執行委員)

日本の社会運動は、2016年のいま、「それなりに復活」してきている感があります。

平和運動一つとっても、1990年代には、冷戦構造の崩壊や、自民党社会党と組むに至って、日本共産党系と一部のマニアックな左翼(中核派や一部独立系左翼)以外のデモや集会が下火になってしまった時期があります。当時は筆者は、高校生から大学生の時期に東京都心を生活圏としていましたが、今ほどはデモや集会にぶち当たる経験はしていません。その前の1980年代から比べても、「ガタ落ち」という印象を受けました。








これは、1980年のいわゆる社公合意や、1981年スタートのいわゆる土光臨調行革路線のもとでの労組分断などで、時間をかけて新自由主義や海外派兵を進める勢力が少しづつ分断工作を進めてきた「成果」でもあります。
 竹下登金丸信(いずれも故人)ら1980年代の自民党幹部(当時の主流は竹下派、現在の額賀派)は当時の野党幹部らを抱き込んで野党分断を図ります。一方で、所得税の累進性の緩和や消費税の導入を実施。政府の再分配機能を解体していくのです。国鉄労組なども竹下派7奉行の橋本龍太郎(故人、当時、運輸大臣のちに総理)により解体され、野党の支持基盤は弱体化し、経団連などが後に非正規雇用の拡大などをしやすくする環境整備にもなりました。

1990年代は、当時は一定数の中間層が形成され、環境や情報公開などを求める市民運動は盛んでした。また、男女共同参画を求める運動も一定の成果を上げたのも事実です。しかし、その足元では、就職氷河期が進行するとともに「新時代の日本的経営」を当時の日経連が打ち出し、のちの格差・貧困の深刻化の遠因がこの時期に進んでいたのです。また、新自由主義的な法案については日本共産党新社会党を除いては反対が起きないという、今から考えると、恐ろしい状況があったのです。

 21世紀になり、小泉総理の登場、そして、小泉さんがブッシュ大統領(ジュニア、当時)と組んでの海外派兵への暴走などを背景に、一般人も多く参加するデモや集会が復活していきました。共産党社民党の党首が、集会で席を同じくする場面が2001年5月3日以降増えてきました。

しかし、それが選挙結果につながったかといえば、必ずしもそうではありませんでした。
デモや集会の高揚が必ずしも選挙での自民党後退にはつながりませんでした。
そして反対むなしく、アフガン戦争やイラク戦争の支援に自衛隊が駆り出されることになったのです。

その後、2000年代の後半、格差や貧困問題がクローズアップされていきます。

そして、2008年のリーマンショックとその後の「派遣切り」などで格差・貧困が大きな争点に浮上。
国民の生活が第一」を掲げた民主党が政権を奪取することになります。

しかし、民主党は官僚に敗北し、マニフェストにもなかった消費税増税をぶち上げるなど迷走します。
そうした中で、2011年3月11日の東日本大震災、そして東電福島第一原発事故。特定利権に左右されてきたこの国の在り方に多くの国民が疑問を持ち、脱原発を求めるデモや集会が盛り上がりました。
しかし、2012年衆院選では、そのことは反映されず、原発を作ってきた自民党が政権に返り咲く有様でした。

2013年参院選でもその傾向は変わらず、断固たる反自民のイメージのある日本共産党以外の野党は苦戦を強いられました。

2013年末に安倍総理は、1941年の軍機法に相当するともいえる「特定秘密保護法」を強行。2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定、2015年初めには、イスラエル訪問中にイスラム国への事実上の「宣戦布告」を実施。
そして、安保法を2015年9月19日に強行しました。こうした中で、市民の「野党は共闘」の声を背景に、野党各党が選挙協力への動きを模索。2015年2月19日に安保法廃止、安倍政権打倒、選挙協力などで合意したのです。

しかし、「これだけ」で喜べる情勢ではありません。

日本が戦後長い間維持してきた企業重視の仕組みと、1980年代以降進めてきた新自由主義のダブルパンチで、貧困率は、OECDでも高い部類に入っています。

しかも、日本の場合、食料品にかかる消費税率がドイツやフランスよりも高いのに、公的な教育支出のGDP比率はOECDではスロバキアと並んで低い有様です。

気が付けば、日本は、庶民(労働者階級)にとって極めて暮らしにくい国になってしまったのです。

原発も安保法も廃止。そのことに異論はありません。これからも大いに追求していかなければなりません。

しかし、たとえば、住宅支援打ち切りをはじめとする、被災者に対する冷たい対応は、結局は、労働者に自己責任を過剰に問うシステムや風潮と通底しているのではないでしょうか?

そして、それは、結局は、労働運動の弱さに起因しているのではないでしょうか?
日本の労働運動はいまや、脱原発や反安保など他の分野と比べても「最弱」の分野になっているのではないかとさえ思います。

労働者のために本当にやる労働運動。これが必要です。

長い間の当局側の分断工作も功を奏し、日本の労働組合、とくに「連合」の情けなさを嘆く声は多く聞かれる有様です。一時は、連合も、1990年代後半頃には労働法改悪を容認してきた「黒歴史」があります。

 いまや、安保反対、原発反対と国会前で、全国各都市の中心部で叫ぶことはできても、会社で、バイト先でひどい環境で働かざるを得ない労働者が多い。これが現状でしょう。

 確かに、反原発や安保反対は大事だ。しかし、現実に、2000年代後半にクローズアップされた貧困・格差への取り組みが、2011年以降、後退とは言わないが、一時停滞した感はあります。

その隙に、一方では橋下市長が「シルバー民主主義打倒!自治労打倒!」の風にのってバカ受けし、安倍総理が、「アベノミクス」を掲げて政権を奪還した。そういう現実もあります。

世界的な反権力・反大手企業の社会運動の主流は「反格差」です。日本の場合は、社会運動の主流が、反原発なり、反安保にあって、「反格差」が弱いのです。そのために、世界的な流れ、すなわち、アメリカのサンダース旋風や、中南米の左翼政権、スペインやポルトガル、イギリスでの反緊縮の動きに日本が乗り遅れていることは否めないのではないでしょうか。

世界的に見ても、いわゆる「IS」問題でも、先進国本国のフランス生まれ・ベルギー生まれのフランス人・ベルギー人である若者が、テロの被疑者でした。彼らの凶行は許されないが、背景には、貧困や差別があることは間違いありません。貧困や差別をなくしていくことこそが、米ロ英仏などの「テロ対策」と称した空爆や、それと連動した日本の「安保法」への長期的な対案のひとつです。

 いまこそ、労働運動の「復興」です。

 その場合には、労働運動の「復旧」ではなく「復興」が大事です。「復旧」=一時期のような正社員、正規公務員だけがいい思いをするような運動の在り方ではなく、労働者全体が人間らしく働き、人間らしく暮らせるようにするための運動の在り方が求められます。

 その場合、これまでの運動を否定するのではなく、到達点も到達できなかった点もきちんと踏まえたうえで、新しい運動を構築していく。そのことが求められます。

 筆者自身も、かつて正規公務員として「連合」傘下の労組の支部執行委員として活動しつつも、非正規中心の「独立系メーデー」(生存ユニオン広島)を主催していましたし、非正規労働者や女性労働者への差別撤回を求める争議の支援もさせていただきました。現在は介護労働者として「全労連」系自治労連に所属しています。他人と比べると、年齢の割には、多様な活動に参加させていただく機会に恵まれています。こうした経験も活かしながら「労働運動の復興」を通じ、「カープのプレイボールを家や球場で見られる広島」、ひいては「貧困や差別のない日本」の実現に力を入れてまいる所存です。